日本プロ野球を支えたミスター

バッティング

過去の日本プロ野球では、セリーグが巨人、パリーグが西鉄から西武と、両リーグ共に抜きん出たチームの存在により、同じような対戦になることが多かった日本シリーズですが、近年は12球団の戦力が拮抗したことで、どのチームが優勝するか毎年蓋を開けてみるまでわからない混戦模様となっています。

20世紀に活躍した個性的な選手は、元巨人の長嶋茂雄や江川卓、元中日の星野仙一や元南海の門田博光など枚挙にいとまがありません。
長嶋茂雄は1958年から1974年までの17年間にわたり巨人で活躍、「ミスタープロ野球」として当時のプロ野球界を牽引しました。
記録よりも記憶に残る選手とも言われ、天覧試合や日本シリーズなど、注目を浴びる試合では特に好成績を残し、他球団のファンからも惜しまれながら引退しています。
江川卓は元祖怪物の異名を持ち、甲子園大会では通算59イニングと1/3を投げ、防御率0.46、奪三振92という驚異的な成績を残し、プロ野球ドラフト会議でも大きな注目を浴びました。

関東を本拠地とするセリーグ球団を希望していたものの、3度にわたってパリーグ球団が交渉権を獲得したため、巨人が「空白の1日」を利用し、阪神に入団した後にトレードするという荒業を行います。当の本人は全く関与しない中での出来事でしたが、悪者として世間の批判を浴びることとなり、社会問題にまで発展しました。
汚名を着せられた江川卓は、その非凡な才能により活躍、世間を黙らせることに成功しています。

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どの球団も闘争心むき出しだったプロ野球

野球観戦

近年のプロ野球選手は品行方正な選手が多い反面、闘争心をむき出しにするような選手は影を潜めるようになりました。かつてのプロ野球では、どの球団にも試合中に熱くなる選手が複数存在したため乱闘も多く、それは一部ファンの楽しみであり風物詩の一つでした。

1987年6月の巨人対中日戦では、中日の宮下投手が巨人のバッターとして打席に立っていたクロマティーに死球を与えましたが、宮下投手が帽子を頭から取って謝らないことに腹を立てたクロマティーがマウンドに突進、宮下投手に右ストレートを浴びせ退場となる有名な事件がありました。

中には乱闘により、プレーに影響の出るような怪我を負ってしまった選手も存在します。
1968年9月に行われた巨人対阪神戦では、阪神のバッキー投手が巨人のバッター王貞治に対し危険なボールを投げたことに端を発し、両軍入り乱れる中で乱闘騒ぎに発展しました。この乱闘によりバッキー投手は右手の拳を骨折し、投手としての選手生命を断つことになります。

1994年5月の巨人対ヤクルト戦では、ヤクルトの西村投手がグラッデンに投げた投球により乱闘が勃発、ヤクルトの中西捕手とグラッデンが殴り合いとなり両者共に骨折、グラッデンはその年のオフシーズンに引退となっています。

近鉄バファローズの身売り問題

球場

大阪にはパリーグの球団、オリックスバファローズが大阪ドームを構え主催試合を行っています。このオリックスバファローズは、かつて日本野球界を賑わせた近鉄バファローズ身売りを端に発する球界再編問題の結果生まれました。日本プロ野球は今も昔も変わらず12球団ですが、親会社が変わってチーム名が変化する、というような生易しい再編ではなくそもそも一つのチームが潰れ、新しいチームが一から誕生したという歴史があります。

当時、中村紀洋やタフィ・ローズを抱え、投手としては岩隈久志という今でもビッグネームと唸ってしまうような面々を擁していてまえ打線という二つ名で打ち勝つ野球を実践していた近鉄バファローズでしたが、高騰する選手年俸などから経営に行き詰まりオリックスブルーウェーブとの合併をするに至りました。

その際、日本に12球団も必要なのか、などと言ったいわゆる球界再編問題が噴出し、選手会がストライキを実行するに至ったのですから、事の重大さがお分かりいただけるでしょう。過去に一度も前例のいない、ストライキをしたのです。
その結果、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生、オリックスと合併した近鉄バファローズはその名前の一部分と本拠地大阪ドームを残しプロ野球界から消えていきました。

キャッチボール

巨人と西武の黄金時代

スタジアム

まず、巨人の黄金時代とは、1965年から1973年までのことをいいます。V9時代ともいい、他を払拭する強さを見せつけました。ペナントレースだけでなく、日本シリーズでも9年連続で優勝しています。これはプロ野球の歴史で未だに破られていません。
中心選手は、投手では金田正一や堀内土居昭三恒夫などです。打っては言わずと知れたON打砲、王貞治、長嶋茂雄が活躍しました。土井正三、黒江透修、柴田勲、高田繁などの守備の名手も揃っていました。この間、王選手はMVPを5回、長嶋選手は3回受賞しています。

次に西武の黄金時代とは、1986年から1994年の 森祇晶監督が采配を振るった時代を示します。その間1989年(リーグ3位)を除き、すべての年でリーグ優勝しています。(その前の1985年も広岡監督の下でリーグ優勝)1993年と1994年以外は日本シリーズでも優勝しました。
黄金時代を支えた選手は、打者では、秋山幸二、デストラーデ、清原和博、石毛宏典、伊東勤、辻発彦など。特に秋山、清原選手はAK砲と呼ばれて注目されました。1991年の日本シリーズでは秋山選手のバック宙が話題になりました。投手では渡辺久信、工藤公康、郭泰源などが活躍しました。